実った稲に遺志受け継ぐ 気仙町高田沖の圃場で 故・小澤さんの娘夫婦が収穫

▲ 高田沖の圃場の稲が無事に育ち喜び合う大輝さん㊧とさちさん(今月5日)

 「来てくれてありがとう。あとは頼む」──。今年6月に亡くなった陸前高田市気仙町の畜産農家・小澤惣一さん(享年70)は、奥州市から迎えた娘婿の大輝さん(28)に、家業を託した。東日本大震災後に整備された同町高田沖地区の農地では今秋、惣一さんが最後に種をまいた稲が実り、大輝さんと娘・さちさん(31)の手で収穫作業が進められている。休耕田を生むまいと奔走した惣一さんの思いが、実った稲とともに、次の世代へ受け継がれている。(阿部仁志)

 

今年4月に種まきを行った惣一さん㊧と菅野さん

 晴れ空が広がった今月5日、飼料用の「ひとめぼれ」が育った高田沖の圃場に、大型トラクターの駆動音が鳴り響いた。連日の雨がやむのを待ち、ようやく迎えた稲刈りの日。元農協職員の大輝さんは、慣れた手つきでハンドルを回し、時折後方を確かめながら、刈り残しがないよう丁寧に作業を進めた。
 この日は休み返上で駆けつけた地方公務員のさちさんも、別のトラクターや草刈り機などを操作し、大輝さんの作業をサポート。惣一さんと長年の付き合いがあり、圃場の水管理や草刈りなどを日頃から手伝っている同町の農業・菅野剛さん(76)も加わって、それぞれ作業に汗を流した。
 稲は、地面に直接種をまく「乾田直播」の手法で育てられた。高田沖で耕作する生産者の高齢化を見据え、省力化やコスト削減を図れるこの方法を広げようと、6年前から試行錯誤を重ねてきた惣一さんの努力が結実したものだ。
 今年は6・4㌶に種をまき、このうち8割以上の農地で、ホールクロップサイレージ(WCS)用の稲を育てた。稲WCSは、穂や茎葉をまるごと刈り取り、フィルムで密封して発酵させる牛の飼料。残りは食用米や酒米とし、来月中に収穫する見込みだ。収穫は長雨の影響で予定より遅れたものの、稲WCSは昨年並みの収量を確保した。
 小さい頃から父の背中を見て育ち、仕事を手伝ってきたさちさんは、残された圃場への思い入れが強い。「実際にやってみると、さまざまな作業のタイミングを計るのが難しく、父がやってきた仕事の大きさを実感する。大変なことはあるけど、重荷という感覚ではない。稲を育てることは、私たちの生活の一部になっている」と現状を前向きに受け止める。
 大輝さんも、結婚を機に移住して2年余り。〝外から来た〟立場ではあるが、託されたものを守りたいという思いはさちさんと同じ。「惣一さんがやってきた水準に、少しでも追いつきたい」と、力を込める。
 菅野さんは「大輝さんもさちさんも、自分たちで考え、自分たちから動いている。本人たちにやる気があることが伝わってくるので、応援しがいがある」とし、頼もしい次世代を温かく見守る。

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 惣一さんは、4年ほど前に肺がんが見つかった。抗がん剤治療を受けながら闘病生活を送る中でも、高田沖の圃場や、震災後に整備された同町今泉地区の川沿いの牧草地に通い、働き続けた。周囲が止めようとしても「生きている理由だから」「自分がやんねばわがんね」と譲らなかった。
 菅野さんは「牧草地は、震災で農地が流された後、多くの農家が耕作を続ける体力を失っていた中、惣一さんに『自分が土地を使う』と手を挙げてもらったおかげで整備された経緯がある。高田沖の農地についても、惣一さんの存在は大きい。知識も技術もある人だった」と惜しむ。
 惣一さんの妻の睦子さん(70)は、「これ以上(仕事を)増やさないでと言ったこともある」と震災後を振り返る。「1人で2人以上の仕事をこなしていた。やると決めたことは、曲げずにとことんやる人。(がんで)普段は苦しそうにしていても、トラクターに乗っているときは元気に見えた」──と、夫の姿をしのぶ。
 5月末に病状が悪化し、惣一さんは入院。家族が病室に集まった日、惣一さんは意識がもうろうとする中、大輝さんに「(小澤家に)来てくれてありがとう。あとは頼む」と、初めて感謝の言葉を口にしたという。「そう言われるとは思っていなかった」と振り返る大輝さんは、託されたものを守っていく決意をいっそう強くした。
 物価高騰や収益への不安、子育てとの両立など、課題は多い。それでも、大輝さんとさちさんは「この場所を守ろうとした人たちの思いは大事にしたい」と声をそろえる。二人三脚で、これからも種をまく。