視点/否決された陸前高田市教育長人事案㊤ 前教育長の突然の辞任で深まる疑問とトップ空席の影響
令和8年10月9日付 1面
辞職願から短期間で後任案 不透明な市長説明に議会紛糾
陸前高田市議会9月定例会において、佐々木拓市長が提案した新教育長人事案が不同意となるという異例の結末を迎えた。市長が後任として同意を求めたのは県立高田高副校長や住田高校長を歴任し、県教委にも勤務した人物で、議会も「人格・見識・経歴とも申し分ない」と認めた。しかし、出席議員の過半数は賛同の起立をしなかった。議会が突きつけた「否決」の本質は、後任候補の資質ではなく、前教育長の突然の辞任を巡る説明の不透明さ、後任の選考プロセスなどへの拭い去れない疑問だった。教育行政のトップ不在という事態に至った経緯を整理し、今後の課題を見つめたい。 (菅野弘大)
今回の人事案否決に至る混迷の根底には、東日本大震災からの教育復興を支えてきた前教育長・山田市雄氏の突然の辞任劇がある。
山田氏は平成24年から通算11年の長きにわたって市の教育行政を統率。震災直後の大きな困難の中、未曽有の災害に直面した子どもたちの心のケアや、被災した学校・文化施設の再建を先頭に立って指揮してきた。一度その職を退いたが、令和3年4月に再び教育長となり、昨年10月に再任され、令和10年9月末まで任期を2年残していた。
ところが、先月9日、佐々木市長に「一身上の都合」として辞職願を提出。同24日に開かれた教育委員会定例会で教育委員らによる審議が行われ、辞職が同意された。市内では、今年2月に立ち上がった小中学校の在り方検討委員会の取り組みが活発に行われるなど、児童・生徒の学びの場の方向性を見つめ直す重要な局面を迎えているさなかの辞任だった。
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佐々木市長は同29日の市議会9月定例会最終本会議で、後任の教育長任命にかかる人事案を追加提案。質疑では、木村聡、佐々木良麻、菅野秀一郎、鵜浦昌也、伊勢純、藤倉泰治、伊藤明彦の7議員が発言に立ち、山田氏の辞任理由や後任候補者の選任経緯などについて詳細な説明を求めた。
議員らと市長、市当局の発言内容によると、山田氏が市長に辞職願を提出したのは、9月9日の夕方。この日は、9月定例会における一般質問の2日目で、市内小中学校における適正規模化、在り方検討委に関する議員の質問に対して、取り組みへの強い決意を示す答弁をしていた。翌10日、市長が議長室を訪れ、及川修一議長に教育長の辞任と後任人事案の追加提案を伝えたという。
質疑で木村議員は「任期を大きく残しての辞任であり、不都合な事情の隠蔽が疑われるこの不透明な事態を看過できない」と口火を切り、辞任理由の説明を迫った。佐々木市長は「一身上の都合と聞いている。長年貢献された功績ある方の決断に対し、深い詮索や推量をするのは失礼になる」と述べ、詳細な理由の説明を避けた。
議論はここから、人事決定プロセスにおける説明の「不透明さ」と「拙速さ」へと波及。佐々木議員は、辞表提出からわずか数日で新教育長案が浮上した経過を問題視し「新教育長への正式な打診はいつ行われたのか」と尋ねた。佐々木市長は「具体的な日付は覚えていない」「阿吽の呼吸で課題を共有し、同じ問題意識を持って意見交換していた」などと曖昧な表現が目立った。
佐々木議員とのやり取りの中では、教育委員会定例会での辞職同意の採決においても、辞任理由の具体的な説明がなかったため、教育委員から「具体理由がないと判断がしづらい」という意見が聞かれ、採決も賛成2、反対1に割れる結果となっていたことが明かされた。「日付が不明確なのは理解できない。新人事ありきで進められたのではないか」という同議員の追及について、佐々木市長は「大原則として議会の同意を得なければならず、決して新人事ありきではない」と否定した。
質疑は続き、菅野議員は「教育長を任命するうえで、将来を担う子どもたちや本市の歴史、文化も踏まえ、何を重視したのか」、鵜浦議員は「慰留はしなかったのか」と問いただした。
これに対し、佐々木市長は「県立高校の学科削減、再編など、地域が教育の場を守るために、われわれが地域の情報を発信し、教育行政を進める必要があるという観点も重要視した。県教委での勤務経験と温厚な人柄から、県教育委との協議、相談など、一体となって取り組んでいくうえで適切な方だと判断し、本人の覚悟も認めたうえでの人選だ」と述べた。一方、山田氏への慰留については「本人にはさまざまな思いがある。私から(辞任について)早いとか適当ではないといった意見は申し上げておらず、今後するつもりもない」と明確な慰留の有無を示さなかった。
不透明な市長答弁に、伊勢議員は「慰留をしたのか、しなかったのか」「後任者への就任打診の時期やどのような形かを明確に」と、他議員の質問を改めて投げかけた。
それでも、佐々木市長は「本人の決断を尊重した」「契約のように決めるものではなく、明確に答えるのは難しい」などの答弁に終始した。






