「死なずに生きて」 店舗ビルで被災の米沢さん 立教大ツアーで遺構案内(別写真あり)

▲ 被災した店舗ビルで米沢さん(左端)から震災発生当時の状況を聞く立教大生ら

 東京都の立教大学(西原廉太総長)の学生らは2日から、東日本大震災や陸前高田市の復興について学ぶ「陸前高田交流ツアー」に臨んでいる。3日は、高田町に残る民間の震災遺構「米沢商会」の店舗ビルで被災した米沢祐一さんが、学生らに震災当日の様子などを説明し、自身の経験から「死なずに生き残って」と命の重みを訴えかけた。
 同大では、同市でのフィールドワークを通じて平成23年の発災当時の状況や復興の今を知る同ツアーを毎年度実施。今回は、希望した学生14人が5日まで同市に滞在し、東日本大震災津波伝承館、高田松原津波復興祈念公園の見学や、まちづくりに尽力する事業者らの講話を通じて、震災や防災について考えを深めている。
 米沢さんは、震災津波で両親と弟を失った。大きな揺れから津波が来る10分前まで、同ビルで家族と一緒にいたことを振り返り、「何か災害が起きたら、ビルから徒歩数十秒の市民会館に避難することにしていた。私だけ店舗から少し離れた倉庫で地震後の片付けをしていて、津波の防災無線に気づいて戻ると、家族の姿はなく、(市民会館に)避難したのだろうと思っていた。そこに津波が来た」と説明した。
 黒い波が押し寄せる中、米沢さんはビルの屋上まで駆け上がり、そこからはしごを使ってさらに高い煙突部分に身を寄せたこと、足元のぎりぎりまで波が迫ったこと、寒空の下、その場で一夜を明かした当時の記憶を学生らに伝えた。「あれだけ大きな地震に襲われたのに、当時は『津波が来る』という意識は全くなかった。『津波が気仙川を越えた』という防災無線の放送を聞いて初めて、避難が頭に浮かんだ」と反省すべき点もあったとした。
 市民会館も大きな波にのまれ、家族やよく知る仲の近隣住民が犠牲となった。「正しい避難行動をした家族が命を落とし、間違った行動をした私は生き残った。家族を亡くしたことは悔しい。皆さんには、自分が納得できる避難行動をしてほしいし、死なずに生き残ってほしい」と切実に話した。
 同大の斎藤夏鈴さん(社会学部4年)は「想像以上に過酷な状況だったことを知り、自分が同じ状況だったら(屋上のはしごの上まで)登ることができたかを考えさせられた。『死なずに生きること』という言葉が心に残り、津波が来ると思ったら命優先で高いところに避難する意識を持ちたい」と話していた。