古メディアの〝敗北〟

 暗たんとした思いが消えない。兵庫県知事選が終わってからずっとだ。
 斎藤前知事が再選したことを受け、ネットでは「オールドメディアの敗北」という言い回しが飛び交った。オールドメディア、つまりテレビや新聞・雑誌のことである。
 SNSへの接触が増え、マスメディアよりネットのほうに信頼性があると感じる人は増えている。「〝マスゴミ〟は大切な真実を隠しているに違いない・だまされたり損をしないよう、自分で情報を選び取り、自分の頭で考えよう」と最初から疑ってかかる人々にとっては、記者が取材と裏取りを重ねて送り出すファクトより、情報ソースや取材先はまったく不明でも、その人が〝信じられる・納得できる〟ストーリーのほうが影響力を持つようになっている。
 だが確かに今回は「オールドメディアの敗北」であった。ただそれは「メディアよりネットが正しかった」ということでは断じてない。「メディアはデマに対し何も対応できなかった」という意味で、非常に情けなかったのである。 
 テレビも新聞も選挙となると〝中立〟であろうとするあまり、候補者に関する批判的な報道を避け、当たり障りのないことしか伝えなくなる。候補者が堂々とうそをつく「ディスインフォメーション戦略」をとっても、暴力・暴言で選挙妨害を行ったと聞いても、沈黙かスルーをしがちだ。
 これを今回は逆手にとられた。選挙前に報道してきた内容を〝あれはメディアのねつ造〟とされてもなお反論できなかったのだ。選挙が終了してからやっと何が起きていたのか報道され始めたが、後の祭りである。
 中立の意味を見つめ直さねばならない。自分たちの取材にもとづき、候補がデマや中傷に加担していたら、それは間違っていると発信することが真の公正中立ということのはずだ。でなければ本当にオールドメディアは〝真実を伝えない・時代遅れ〟の媒体として切り捨てられよう。  (里)