〝あの坂をのぼれば〟
令和8年6月25日付
田野畑村には「思案坂/辞職坂」と呼ばれる峠の難所がある。
北山崎や鵜の巣断崖の切り立った崖に代表されるかの地は、風光明媚である一方、「陸の孤島」と呼ばれ、長いこと人の往来を阻んできた。海岸線は高さ200㍍級に隆起した台地で構成され、渓谷や崖を行く道は「急峻」の一言に尽きる。
今でこそ橋ができ、道路が通り、深い谷も容易に渡れるが、かつてはV字に刻まれた峠からしか村へ入る手段はなかった。赴任した教師や役人が本当にここを行くのかと逡巡したのが「思案坂」。その先にもっと険しい谷が待ち構えるのを見て、ついには職を投げ出し引き返したといわれるのが「辞職坂」である。
つい先日、それらの名称が大げさでないことを思い知ってきた。みちのく潮風トレイルの田野畑ルートを歩いたのだ。
思案坂にかかる橋を通った時、谷底のあまりの深さに字義通り縮み上がってしまった。高所に抵抗がなく、つり橋だって平気で渡る自分ですら、全身に鳥肌が立ち、端は歩けなかった。あんなにも橋が怖いと感じた経験は初めてだった。
〝崖登り・崖下り〟というほうが正確な場所もあった。はいつくばらないと転げ落ちそうな道で、この衰えた体をほぼ垂直に持ち上げるのにどれほど苦労したことか。
だが、息を切らし、足を棒にした甲斐は確かにあった。リアス海岸とは趣を異にする荒々しい岩礁景観は『猿の惑星』や『スター・ウォーズ』のロケ地と見まごうほど特異で、ため息の連続。崖下の浜辺は満潮時だと歩けないため正式なトレイルルートにこそなっていないが、今回は運よく干潮時にあたり、崖をくり抜いて造られた隧道も通ることができた。
後日、田野畑に橋をかけた人々の記録と村民の苦労をつづった『谷をこえて』という冊子を読んだ。こうして往来がかない美しい景観を楽しめるのは、三陸を道でつないだ先人のおかげと、過去に思いを致した。(里)






