忌むべき時代への逆行
令和7年8月23日付
「お前さぁ、『10円50銭』って言ってみな?」
初老の男性が、自分とは主義主張の異なる相手にそう吐き捨てる動画を見てしまい、全身からサーッと血の気が引いた。
参院選の街頭演説でその場にいた同士、口論になった末の発言だったようだ。言われた側も「それが何を意味するか分かってるんだろうな?」と驚愕しながら返していた。当然だろう。まさか、日本の汚点、恥ずべき史実をわざわざなぞろうとする者がこの令和の世に存在しようとは──絶望で頭がくらくらした。この国はいつのまに、こんなキナ臭い場所へ逆戻りしてしまったのかと。
実際には10円50銭ではなく「15円50銭」だったという──「ざじずぜぞ・がぎぐげご」がうまく話せない者は朝鮮人だ──そう〝識別〟するため、関東大震災直後に用いられた代表的な言葉は。
大地震と大火で極限状態に置かれた当時の人々の心はすさみ、恐怖と不安が渦巻く中に、朝鮮人が井戸に毒を入れただの、暴動を起こすだのと流言飛語がわいた。疑心暗鬼と、以前から抱えていたのであろう差別感情は瞬く間にゆがんだ正義感となって暴走。軍や警察はおろか、自警団を名乗る人々が武器を手にして朝鮮人を勝手に〝取り締まる〟ようになった。
そこで用いられたのが「15円50銭って言ってみろ」。うまく発音できないと容赦なく暴行、殺害された。聴覚障害者や方言を使う地方出身者まで殺されたことが記録に残っている。そんなわが国の恥部としか言えない蛮行に由来する言葉を、平気で口にする人が現代によみがえろうとは…!
ヘイトを忌むべきなのは、それが相手の心を傷つけるからというだけでなく、やがては肉体的暴力に発展すると歴史が証明するからだ。自分たちと異なる相手を〝加害してもよい属性〟と決めつけ、そう振る舞うことに抑制がきかないというのは、人としての「退行」に他ならない。今歯止めをかけねば取り返しのつかないことになる。(里)