転機はあの日々の中に
令和8年2月21日付
「あなたの15年にはどんな変化があったの?」
東日本大震災の発生から丸15年を迎えるにあたって取材した方に、そう〝逆取材〟された。
答えはノータイムで出てきた。「地域社会の一員って自覚が、すごく強くなったと思う」と。
間違いなく、人生が一変する出来事だった。あの災害を経験して、考え方や行動に一切変化がなかった人はまずおるまい。何が一番変わったか——自分の場合は、気仙というコミュニティーを構成するメンバーとしての「果たすべき責任」を、絶えず自問自答するようになったことだ。
幼児期からやたらと郷土愛の強い子どもで、都会に出たいとか、岩手から離れたいと思ったことがなかった。だから若いうちに古里へ戻ったのだが、当初は「地域に貢献するぞ」といった気持ちや、仕事への使命感は存外、希薄だったと思う。
それが激変した。誰のため・何のために働いているのか、日頃いかに地域から支えてもらっていたのかが、あの苦境の中ではハッキリ見えた。
「東海さん、あんた方が頼りだ」「しっかり伝えてくれ」。震災直後、よくそんな言葉をかけられた。そこが原点だ。いつも支えてくれている人たちの信頼と要請に応えたい、そう思った。
腰が重く、人と深い話をするのも苦手で、面倒な話題は避けがちな自分が、他者の抱える痛みや怒り、苦しみとどうにか向き合い「話を聞かせてください」と言えるようになった。魚をとったり、家を建てたり、誰かの病気を治すことはできない代わりに地域の役に立つ方法といったら、おのれの仕事と正面から向き合うぐらいしかないと、腹が決まったのだ。
気仙の人たちに必要とされる情報を届けたい。「茶飲み話」を提供して皆に笑ってもらいたい。話を聞いてほしいという人の元へ、すぐ駆けつけられるようでありたい――。そういう願いを持っていると気づけたことが、一番の変化、転機だったのだと思える。(里)






