記者生活の始まりの地で
令和8年6月11日付
のどかな田園風景が広がる横田町、白く美しい砂浜が輝く大野海岸、新たに植えられたマツがすくすくと伸びる高田松原──。
この6月、長年担当した大船渡から陸前高田に担当が変わった。陸前高田は、私が記者としての一歩を踏み出した思い出の地。久しぶりの光景に懐かしさを感じる一方で、新しくできた施設や店舗を見て、時の流れのスピードを痛感した。
令和に元号が変わった元年の5月に入社し、最初の1カ月は陸前高田担当の上司の取材に同行した。記者としての基礎を教わり、その後、一人で地域を回るようになった。
当時の陸前高田は、東日本大震災で被災したハード分野における復興の槌音が響き渡っていた。高田松原津波復興祈念公園はまだ整備段階で、市役所も仮設庁舎だった。供用開始に向けて工事が進められていた高田松原運動公園を取材した記憶は、鮮明に覚えている。
担当分野は学校やスポーツが中心で、地域の話題を探して回った。人とのつながりも薄い中ではあったが、会社の先輩たちが築いてきた信頼関係と「東海新報」の看板のおかげで、すんなりと受け入れてもらうことができた。
年が明け、大船渡に担当が変わる前の数カ月は、コロナ禍の影響に苦しんだ。人が集まるイベントは軒並み中止となり、必死に情報をかき集めては、取材依頼の電話をかけ続けた。あの時のような経験はもうしたくないと思いながらも、振り返れば、記者として力をつけるうえでは必要な期間だったのかもしれない。
2年度からは大船渡に担当が変わり、警察・消防や、ここ2年は漁業関係の取材もした。お世話になった学校、スポーツ、水産の関係者、地域の方々に感謝を伝えたい。
6年以上ぶりの陸前高田では、行政を担当する。大船渡で培った力を生かして、自分の役割を果たせるように、気を引き締めて頑張りたい。 (菅)





