〝結び目〟をつくってきた人
令和8年7月23日付
「コミュニティガーデンの活動が毎月10日と20日の定期開催になるよ」
花好きが集まる「陸前高田花の会」代表の佐藤新三郎さんからそんな短い文面を受け取ったのは、4月のことだった。
こういう、それとないメッセージが時々送られてきていた。陸前高田の取材担当だった頃から10年以上の付き合い…皆まで言われずとも分かる。「取材に来て、紙面で知らせて」の意味である。
ただこの時は行くと約束した当日は雨が降り、花壇での作業は中止に。「タイミングが合えば天気がいい時にでも改めて伺いますよ」と伝え、約束はいったん流れた。
それが最後だとは。
今月上旬に受けた佐藤さんの訃報はあまりにも突然だった。「だって亡くなる直前にも新三郎さんと会ってたんだよ。いつも通りの様子で…」と何人もの方から伺った。
佐藤さんと偶然行き会う時はいつも、まちなかのどこかでだった。自転車に乗って市街地を〝パトロール〟し、草の伸びた花壇を見つけては自主的に草取りしている姿をよく見かけた。市内の施設スタッフらが「そろそろ周辺の草刈りをしないと、新三郎さんにしかられる」と冗談まじりに話していたものだ。
誤解も失礼も恐れずに言えば、非常に〝おせっかい〟な人であった。なぜこの人はこれほど地域と他人のために世話を焼けるのかと思っていたが、コミュニティーの保全にはこのおせっかいこそ欠かせない。佐藤さんは、市内外の人や住民同士をつなぐため、自ら〝口うるさい人〟を買って出ていた気がする。
人と人との結びつきなくして、密接で強固な連携は生まれない。他者の世話を焼き、言いにくいことを言い、いろんなところに顔を出す──そういうおせっかいをできる人がいて、ようやくコミュニティーの〝結び目〟はつくられるのだ。
彼は地元に多くの〝結び目〟を残した。その目がほどけぬよう見守ることが、せめてもの供養となろうか。(里)





