令和8年02月17日付
「投稿欄に寄せられた別々の2人の文章。内容は違うが、問題提起から展開、まとめ方が全部似ていた。判定ツールで確認すると、生成AIの可能性が高かった」▼某地方紙でこんなコラムを読んだ▼この新聞社の投稿規定では生成AIの使用を禁止しているが、筆者は「これまではもしや、気付かず載せてしまっていたかも…」と頭を抱える様子を記していた▼AIに書かせた文章はその人の文章と言えるのか?という問い、AIによる投稿を禁ずる是非は脇に置いといて、確かにAIの文章には一種の型がある▼論理的だし読みやすいが、画一的なので今のところはすぐそうだと気付く。〝素材が違っても同じ型枠を使い回している〟印象を受けるのだ▼プロンプト次第で独創的な文も作れるのかもしれないし、今後は一層、人が書いたかどうかなど分からない精度になっていくのだとは思う▼ただ経験上、自分の思いや考えを大多数に訴えたい時、整った正確無比な文章が必ずしも響くわけではないと私は知っている▼複数の情報をまとめるとか、思考の補助的な役割を任せる分には頼もしいに違いないから、今後AIを使うことはきっとあろう▼だが私はきれいな文章を書きたいのではなく「伝わる文章」を書きたいのだ。そのために最適な表現、構成を探すという一番楽しい過程を〝何か〟に委ねたくはない。.






