令和7年11月25日付
昭和42年生まれの人から「私が生まれる前の年は『丙午』だったから、一つ上は人数が少ない。その分、同級生はやたら多い」と伺った▼「丙午の女は気性が荒く、夫を食い殺す」―そんな迷信が広く信じられ、かつてはその年に女児を出産しないよう〝産み控え〟さえ行われていた▼―と、話こそ知っていたが、本当にそんな時代があったんだなあと目を白黒させながら聞いた▼甲・乙・丙…で始まる「十干」と、子・丑・寅…の「十二支」の組み合わせが「干支」である。同じ組み合わせが巡るのは60年に一度だ▼丙午にあたる年は前回、昭和41年だった。実際、同年の出生数は前後の年と比べ約25%も少なかったそうだから、いかにこの話が信じられていたかが分かる▼占いでは丙も午も「陽・火」の性質を持つため、二重に「気性が荒い」とされるそうだが、なぜそれが女性にだけ当てはめられるのやら。昔の女の人は従順であることが美徳だったから〝気の強い女は嫁に行けないぞ〟と暗に脅しつけるためだったのかもしれない▼しかし丙午生まれは人数が少ないおかげで、受験やら就職活動の時は競争率が下がって有利なことも多かったらしい▼来年は60年ぶりの丙午。今の親御さんはむしろ「強い女性に育ってほしい」と願うような気がする。〝そんな迷信があんの?望むところ〟と笑い飛ばしてほしい。





