令和7年12月14日付
昨年亡くなった女性社員の祥月命日、彼女と一番仲が良かった社員とともにご自宅へ手を合わせに伺った▼お線香を上げたあと、旦那さんのご厚意に甘えすっかり長居してしまった。泣いたり笑ったり、思い出話は尽きなかった▼彼女の話をしていると改めて「ああ、本当にもう会えないんだな」とその不在もより際立つのだが、一方で話している間だけは〝会えている〟気もする。目の前に姿が浮かび上がってくるような…▼仏教の法話ではよく「皆さんで故人のお話をたくさんしてください。それが何よりのご供養になります」と聞く▼故人について語らう時間とは実際のところ、供養というよりも、残された人々の心を癒やすためのものではないかと、強く思う▼私も、亡き祖父母や両親、兄を知る人に声をかけられ、思い出話をしていただくことがある▼知らなかった一面や初めて聞くエピソード―そんな話を誰かに教えてもらうたび、家族に〝出会い直す〟―目に見えずとも「今、家族に会えている」と思えるのだ。先日も兄の同級生のおかげで兄と〝会えた〟▼社の花壇で亡き彼女が世話していたチューリップの球根を、他の社員らが植え直してくれた。来春に再び、きれいな花を咲かせてくれるだろう▼そうしたらその傍らで、彼女のことを語らいたい。きっとその間はまた、隣にいてくれるはずだから。






