令和8年08月09日付
長崎原爆の日に際し、問いたい。わが国は本当に、核保持に「触れざるを得ない/タブーなく議論しなくては」ならない時を迎えているのだろうかと▼「被爆の恐ろしさを知るからこそ、日本は核を抑止力として使う権利がある」とうそぶく政治家が増え、一部にも「防衛のためならやむを得なかろう」との声がある▼この傾向の背景には、仮に日本政府が、国民を飲まず食わずにして搾り取れるだけ搾り取り、社会福祉を削りに削って軍備に費やしたとしても、大国の軍事力には追い付けないという現実があろう▼誰だかがいつぞや言っていた「核武装は安上がり」という発言も、だからこそ出てくるわけだ。何百兆円を何年もつぎ込んで軍備を固めるより、1発持つのが手っ取り早いと▼ではいざ核保有を始めたとしよう。その準備が整うまで、なぜ他国が黙って見守ってくれると思うのだ。核保有準備の〝疑い〟だけでイランは攻撃されたというのに▼日本は戦争を放棄し、核を持たないことにしてようやく世界の信用を得た。その歴史を忘れ、積み上げた信頼を失ってはならない。核兵器さえ持てば安心ではなく、それを持とうとした瞬間から、今まで下ろされていた銃口を再び突き付けられることになる▼「相手も持っているから自分だって」と、まるで子どもがおもちゃのように欲しがるものではないのだ。





