令和8年07月29日付
相模原市の障害者施設で入所者ら45人が殺傷された事件は、発生から10年が過ぎた▼犯人が直接手を下した大量殺人としては戦後最悪のケースであるとともに、動機が「障害者はいらない」であったことは社会に大きな衝撃を与えた▼障害者の家族を持つ身として、そのショックはたぶんひと様より大きかった。だが事件に関して家族間で話題にしたこともなければ、こうして書くこともなかった─いや、できなかったのだ▼植松聖死刑囚は「障害者は人を不幸にするから死なせたほうがいい。それを実行した自分は救世主。殺したのは〝人間ではない〟ので、死刑になるような罪ではない」といった供述を繰り返してきた▼その傲慢さに怒りで吐き気を催し、強く嫌悪する一方で、自分も障害のある兄に対し「この人さえいなければ」と何千回思ったか知れないのだ。犯人を完全に否定できない感情があることを、いやがおうにも直視させられた▼感情の処理は、今もできたとは言えない。しかし10年の間に兄を失い、さまざまな角度から学ぶ中で、きっぱり「植松は間違っている」と言い切れるようになった▼彼の持つ偏見や優性思想は、彼独自の思考ではなく、長く社会に醸成されてきた意識が顕在化したものだ。なぜそれが根強く残り、何が要因で噴出するのか。個人ではなく社会課題として見つめたい。






