令和7年12月20日付

 1月に取材したあと、2月には大船渡市大規模林野火災が発生してそれどころでなくなり、なんとか4月に走り出したものの、結局は飛び飛びになり…そして12月である▼そう、8カ月にもわたり不定期連載した「神戸・温故知新」がきょう、やっと最終回を迎えた▼構成が長すぎた。時間をかけすぎた。そのためにお見苦しい点もあったろうと、反省は大きい▼一方、若手記者2人がそれだけ「なぜ震災を伝え続けるのか。そこにどんな意味があるのか」という問いと真剣に向き合った時間もまた長かった▼阪神・淡路の記憶もなければ、何が起きたのかもあまり知らない。もちろん土地勘もないし知り合いもいない。そんな場所で取材すること、それを気仙の人たちにも意味がある記事にすること─何もかも大変だったようだ▼「主観を入れて書こう」というのは、最初からあった。普段の紙面では客観性こそ大事にしなければだけれど、神戸とは少し距離を取れる。2人が感じる疑問はそのまま読者の疑問にもなるから、率直な気持ちを書いていこう、と▼端々に苦心の跡が残り、本人らも細かい部分で反省点はあるようだが、神戸の人々に手渡された思いは原稿の1本1本ににじんでいた▼行く前と行ったあとでは別人になった。ハードルを乗り越え、次代へ〝バトン〟をつなぐ手が増えたなと、頼もしく思う。