令和8年08月14日付
甲子園で勝利した佐野日大の校歌が球場に響いた時、作詞者に「大木惇夫」とあるのを見た家人が、「大高の校歌もこの人の作詞だよ」と教えてくれた▼加えて、大木が『海原にありて歌へる』という歌集で知られること、戦中、将兵らに愛誦された戦争詩、軍歌などを多く書いたために、戦後は戦争協力者として非難を浴びたことも。…何一つ知らなかった▼合唱曲『大地讃頌』や歌謡曲『国境の町』もこの人の作詞だと知り、母校の校歌に感じていた格調高さに得心がいくと同時に、あれほど情景的広がりを感じる雄大な詞を書く人が、国威発揚のために尽くしていたこと─それが〝大正義〟とされた時代に思いをはせた▼戦中は大木の文筆をもてはやした文壇やマスコミも、戦後は手のひらを返し、彼を徹底的に疎外・無視したという。それで校歌や社歌の作詞を主ななりわいにほそぼそと暮らすしかなかったと▼戦中と戦後では価値観が180度変わった。日帝を称揚した人ほど、その後ろめたさから、英雄視していた戦犯や大木のような人をたたき、「俺も戦争はダメだと思ってたんだ」とうそぶいた▼再び価値観が180度もとへ戻る─つまり戦前へ回帰しようものなら、同じ失敗が繰り返されることになろう▼ダメだと思うなら、それが終わってからではなく、始まる前にそう言わねばならないのだ。






